このページの情報は 2006年12月20日14時22分 時点のものです。 |
知ってる
野田 聖子
私は、産みたい
一国会議員としてでも、やはり治療を受ける一人の女性としては同じ思い・葛藤があるのだと感じました。しかし野田さんは国会議員なのです。自分が体験したことをもっと公表して欲しい。本の中では妊娠すらも隠している彼女がいましたが、野田さんと同じ苦しみを経験している女性が世の中たくさんいるということをもっと声を大にして言って頂きたい、世の中にわかって欲しい、そんな活躍を期待してます。
私も、野田さんと同じく、不妊です。
「子供はまだいいや」と考えている私は、この本を読んで思いました。いざ子供が欲しい、と思ったときに私自身にも野田さんと同じ事が起こっても不思議じゃないと。夫の鶴保さんと野田さんのやり取り、治療の内容、ようやく授かった赤ちゃんを必死で守ろうとする母親としての思い、流産の衝撃。国会議員としての野田さんではなく、子供を熱望する一人の女性としての彼女の姿がそこにはありました。
或る国に、私の友人で、妊娠中に、胎児に奇形の可能性が有ると、告げられた女性が居る。医師は、彼女に、彼女が望むなら、中絶も考慮する事を告げ、彼女に、どうするか?と尋ねた。その際、彼女は、「私は、クリスチャンです。」と答え、いかなる運命が待ち構えようとも、その子を産む意思を告げた。それから数ヶ月後、彼女には、全く健康な子供が産まれた。彼女は、その事を深く神に感謝した。--この話を聞いた時、私は、彼女を何と素晴らしい人だろう、と思った。そして、同時に、その様な選択をした彼女ではあったが、その子が生まれるまでの間に、どんな事を思ひ、どんな気持ちで居たのだろうか?と、思はずには居られなかった。彼女がした事は、女性だけに出来る事である。--野田聖子さんのこの本(「私は産みたい」)を読んだ時、私は、私の友人のこの体験を思ひ出した。そして、同時に、大江健三郎の「個人的な体験」の一節を思ひ出さずには居られなかった。物語の終はり近くで、祖国を捨てようとする東欧の外交官が、主人公に、カフカのこんな言葉を教える。--「生まれてくる子供の為に、父親が出来る事は、ただ待つ事だけである」--父親は、生まれて来る子供を、ただ待つ事しか出来無い。しかし、女性には、待つ事以上の何かが出来るのである。--女性とは、何と素晴らしいものだろうか。--この本が、これから結婚し、父親に成る若い男性に読まれる事を望む。
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